緊張

今、私が通っているところに美人が一人でほんの少しの間

来るのだけど、なぜかすげぇ緊張する。

理由は?

私は立食パーティで美人に話すことにはほとんど意識しなくなった。

去年の暮から今年の初めくらいにかけてだ。

それなのになぜだろうか?

その子とは少し話したことはある。

警戒心が強くて、少なくとも最近は他人と話をする気配が感じられないのだ。

その子には彼氏がいる。私は気になっている。

向こうはその気がない。

気になっていることを気付かれたくない。

それが最大の理由なのだと思う。

隠そうとして余計に変なことになってしまって、

格好が悪い。どうしよう、となっているんだと思う。

居心地が悪くて仕方がない状態になっているみたいだ。

どう接していいのか分からない。

 

自分を占う方法

コールドリーディングの手法を用いて、ある程度

会話したことのある人の行く末はだいたい予想できる。

人間の行動というのは過去の言動に相当左右されるので、

当たらずとも遠からずのことは言えるものだ。

これは他人だからカンタンにできるんだけど、

自分のことはそこまで分からない。

それができるようになるにはどうしたらよいのか?

まず自分のことを他人のように眺めてみる、という作業が必要だ。

自分を他人事のように見たり言語化することができれば、

同じように占えばよいだけだから。

自分のことが分かりたいのは、

できれば楽に生きていきたいからだ。

将棋での目標

将棋を真剣にやり始めてからちょうど5年になる。

将棋倶楽部24でR0から451になったわけだが、

予定では1500くらいにはなっているはずだった。

有段タブでフリー対局している友人に

ときどき教えてもらっているのだが、

その人にやり始めて半年で一回勝てたからだ。

それからも年に何回かは勝つし、桁外れに強いとは感じないので、

私の将棋の延長線上にいるのだという感覚がある。

勉強はほとんど詰将棋なのだけど、

これはこのままやっていこうと思ってる。

 

・実戦図からの詰将棋(将皇、百錬将棋、翔、激指の実戦詰将棋道場)

・市販の詰将棋本(3手~11手)

・コンピューターが作った詰将棋詰将棋レーティング戦、詰将棋マシンに挑戦)

・よかとき(7手~11手)

 

詰将棋はPCやスマホでも一人で気軽にできる。

実戦図からの詰将棋を多めにしてもいいかもしれない。

実戦で使える詰み筋を瞬時に見つけるトレーニングは大事だ。

とりあえず指し将棋で強くなるのが目的だから。

コールドリーディング

一度きっちりAレベルの女を落としたことがある。

その時使ったのがコールドリーディングだった。

初対面でその場で相手の心を読む、という技法である。

さいころから親の顔色を伺わないと生きていけなかった

タイプの人は、少し勉強すればできるようになると思う。

簡単に言うと、相手に興味を持って想像力を働かせ、

相手の置かれている立場や状況を推理しながら理解し、

共感する態度で臨むというだけのことだ。

日常生活では、これだけできれば楽しい会話ができるようになってくる。

相手がどういう心中なのかをボディランゲージや目線の動き、

表情の変化などを観察することだけに集中すればよい。

とっさに出る生体反応では嘘がつけないからだ。

だから本当のことが分かる。

女は婉曲表現も好むので、その場で翻訳して理解できるように

しておくことも大事だ。

言葉による手がかりと生体反応から相手の心情をできるだけ

正確に把握していく。

街コン

自由に話せる立食パーティ形式で、

司会の人にアレコレ指示されないタイプの街コンに行っている。

それなりに成果があったときや楽しかったときはいいんだけど、

イマイチだったときに結構、精神的にくる。

自己肯定感が弱まるのはあんまりよくないことだ。

広い意味にとれば、こういうのはナンパしにいくってことなので、

ラインが返ってこなかったりしたら凹むね。

一人で行くのは2回目なんだけど、店を見渡してトップレベルの美人は、

参加費無料で招待されているっぽいね。

サクラとまでは言いきれなくて、

出会いはあればいいな程度に思っているかと。

すでに相手もいる場合もあるだろう。

どっちにしても落とせる可能性はあるのだから、

こちらも最善を尽くしているが、なかなか手ごわい。

自分のことだけを考えて生きる

自分さえよければいい。

口に出して言わないが誰もが思っていることである。

自己犠牲の精神とは真っ向から対立する考え方である。

私は幼い頃から自己犠牲的な価値観を家庭で植えつけられたので、

滅茶苦茶悲惨な少年青年時代を送るハメになった。

今は物事の道理や世の中の仕組みが少しずつ分かってきているから、

まともな方向へ軌道修正しているところだ。

最後に信用できるのは自分だけで、他人には期待しないようにする。

他人をうまく動かしたりもできるようになる。

自分を信じると書いて自信というが、昔よりはかなりよくなった。

いやなことを思い出してムカつくこともあるけれど、

俺ならうまくやれるはずだ。結果がどうであろうと俺は最高なんだ。

ヨコヤ

ライアーゲームという漫画にヨコヤという人物がいる。

私は彼の考え方が好きである。

人間は利己的で欲深く、自己保身のことしか考えない

という前提で物事をとらえている。

損得勘定以外で人は動かないという確かな事実をもとに、

他人の思考を読み、次の手を打つやり方だ。

というか、社会に出てうまくやっているような人は、

ある程度こういう考え方が普通にできている。

世の中ではもう一つの考え方があって、それは思いやりとか

やさしさを第一とするものである。

この手の人の特徴はそういう道徳的な言葉を伝家の宝刀として

振りかざすということだと思う。

どちらのタイプも追求しているのは自分の利益だけだ。

ただ、物事を捉える枠組みが違う。

後者の人が言いたいことは、何かよくわからない。

何かを言っているようで結局何もしようとしていないというか。

よき心をもっている自分は偉いみたいな感じ。

何もしたくない人の都合のいい手段としてよく使われるような気がする。