モテそうですね

社会復帰のリハビリに通っていた。

職場でやっていくことに挫折し、

金も未来も展望もないときだ。

初日のプログラムで、

その施設の看護学生も見習いで参加していた。

ふさぎこんで座り込んでいる私のそばに来て、

その子は隣に座った。

「将来、看護師になるの?」

「はい、そうです」

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「ガッツリ稼げますね」

 

その子は笑った。

それからしばらく話をして、私に言った。

「モテそうですね。やさしい雰囲気でスラッとしてて背も高いし。」

 

どれほどこの言葉に救われたことだろう。

すさまじく響いた。

生きていてよかったとさえ思った。

それまで人生で一度も言われたことがなかったから。

 

ポジティブな言葉は、人の人生に大きく影響を及ぼすものなのだと、

そのとき強く想った。

逆転の発想

欲望のまま行う行動を善とし、

理性によって抑制する行為を悪とする考え方がある。

生きづらい原因の一つは、

この自然な行動原理を採用していないことにある。

欲望を理性によって抑えつけ過ぎてしまっているので、

欲望の発散ができずに不健康に不満がたまっていく。

そして、あるきっかけで怒りが噴出したときに、

その破壊力が凄まじすぎて社会と適合しない。

世の中で流布している「正論」を真に受けすぎると

こういう状態になる。

それはどうしてか?

人間には頼るべきものが何もないときがある。

「正論」が絶対で、それ以外は価値がないと思い込まされるまでに、

追いつめられるときがある。

家庭環境が悲惨であることが

そうさせていると私は確信している。

逃げ場がないのだ。

指針

4年前に将棋を始めた。

ラクをして強くなるにはどうすればいいか」

と紙に書いて、色々試した。

リアル世界で周りに10~15人ほど将棋を嗜む人がいるが、

ビリからスタートして1年で二番手になった。

割と速く上達した方だと思うけど、

ネットとか道場のような場所では

大した実力ではない。偏差値57くらい。

大学受験では偏差値65で、

スポーツで言えば全国大会出場レベルまでいった。

そのレベルにいくまでには大して努力していない。

努力したという感覚がない。

同級生や先生からは「頑張っている」と言われていたが、

自分の中ではそんなに大袈裟なものではなかった。

 

何をやるにしてもそうだろうけど、

ラクに〇〇する」って発想はすごく大事だ。

人生も、楽に楽しく生きていくにはどうすればいいか、

という戦略でいくのが正しい。

 

趣味

生まれ持った才能というものがある。

それとどのように付き合っていけばよいのだろうか。

私は、努力はする方だ。

結果がついてくるかどうかは置いといて、

上手くなりたいと思ったらついつい必死になってしまう。

メキメキ上達しているときは楽しくて仕方ないのだが、

努力と結果が比例しない段階がいずれやってくる。

このときの取り組み方によって、趣味が楽しいものになるか

苦しいものになるかが決まってくるのではなかろうか。

好きで始めたものなのだから、楽しくやっていきたい。

努力はしすぎるときつい。

現在の自分の実力と冷静に向き合い、

受け入れる心が必要になってくる。

実際には環境も影響してくるだろう。

いま、私の周りには親切な高段者とライバルがいるから

将棋をやっていけている。

成功した遊び

私は学校で与えられる勉強があまり苦にならなかった。

テストでいい点を取れば周りからすごいと言われ、

一目おかれるようになるので大変気分がよかった。

だからテストの度に本気で取り組んだ。

やればやるほど結果が出たので、TVゲームより面白くなったほどだった。

勉強すること自体好きになっていた。

これは、社会的に公認された価値を遊びでできたことになるので、

私はこの種の「ゲーム」を求めていることになる。

このゲームが遊びであるための条件は、以下である。

・承認欲求が満たされること

・他者との競争に勝つこと

・創意工夫できること

・充実感を得られること

・達成・進歩・上達・成長を自覚できること

・人の反応があること

人生の目的

人間は遊ぶために生きている。

自分が一番楽しかったこと、全身がゾクゾクするようなあの思い、

気が付いたらもうこんなに時間が経っていたという経験、

それを再現しようとする試みが遊びなんだと思う。

この状態に入れる時間が長いということが幸福である。

趣味だったり恋愛だったり買い物だったりするんだろうが、

それが仕事の人は羨ましい。

カッコよく言うと、ゾーンに入るとかフロー状態なんだが、

どうやったらこの時間を増やせるのだろうか?

 

損か得か

人の顔色ばかり窺う性分だったと思う。

世の中から搾取されがちで極めて損な生き方につながる。

場の雰囲気を大切にし過ぎて、自分の気持ちをいつも後回しにしてしまう。

今はできるだけ自分の気持ちを大切にしようと心がけているが、

余裕がなくなってきたときには、つい相手の機嫌の方を優先させてしまう。

結局、自分の感情に反して動いてしまっているので、ロクなことにはならない。

少しはNoを言えるようにはなってきてはいるが、その「程度」が

まだよく分かっていない。